ゴーゴリー『死せる魂』の挿画
1948年 No,17 I:38.7 x 28.7cm
96種類のエッチング TOTAL368部(うち33部は非売、50部は和紙刷り)
ヴォラールはシャガールに豪華本の挿絵制作を勧めました。
シャガールは、母国の文豪ゴーゴリの「死せる魂」を自ら選び、118枚(96点は1ページ大別刷)。11点は本文カット、残り11点は巻末に縮図として)を1927年に完成しました。
刷り師はルイ・フォール。文中カットは1948年アザン社で本文が刷られたときに手が加えられました。
1932年には本文の校正も終わり、いつでも刊行できるようになっていました。
しかし、ヴォラールもこの作品の出来栄えを賛美し、つづいてラ・フォンテーヌの「寓話」と「聖書」の挿絵を勧めているほどなのに、「死せる魂」の刊行はテリアード社から1948年まで待たなければならなかったのです。
1939年、第二次世界大戦勃発の数週間前にヴォラールは急死しましたが、それまでの数年間、ヴォラールは本文印刷の紙質や活字型などを、ああでもないこうでもないと決めかねていた形跡があります。
その後戦争。結局、版画家シャガールの出現は戦後のこととなったのです。
『死せる魂』ゴーゴリ
〜あらすじ〜
詐欺師チチコフは戸籍面では生きていることになっている死んだ農奴を買い漁って、インチキ地主になりすまし、これを抵当にして銀行や他人から膨大な金を借りて大儲けしょうと計画し、ロシア各地を遍歴します。
物語は、チチコフを巡る貪欲と小心、詭計と愚鈍、贅沢と貧乏、虚勢と卑屈、といった矛盾した諸要素がいかにもロシア的な芒洋とした人間関係によって織り出されています。
作者はこの遍歴のなかで,随所に道徳的破綻者を発見し,それに対して鋭い社会的解剖を加え、腐敗したロシアの全貌と、その生活につつまれた「夢」とを白日の下に暴露して、誤った社会制度と国家組織に痛烈な批判を下します。
この作品は、滑稽さとグロテスクがシャガールの自由な構想の下に現実性と独自な寓意性を帯びて描き出されました。その様式には、ベルリン時代の線描的な表現に加えて、光や色彩を暗示するエッチングの様様な技法が駆使され、格段の進歩が明らかに読み取れます。
ちょっと立ち読みコーナー
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