サルタンバンク・シリーズ》

1904年・1905年制作

ピカソが23歳から24歳にかけて制作した「サルタンバンク・シリーズ」は、ピカソ初期の最高傑作のひとつです。

貧しい者の生活に眼を開かせてくれた親友カサヘマスの自殺は、陽気なアンダルシア人、ピカソの性格を一変させ、その画面が沈鬱な青一色の世界となった「青の時代」の始まりです。

貧困・病気・飢餓に苦しむ、狂乱なバルセロナの街で、ピカソは底辺の人々の生活を描きました。
1904年、あの青の時代の代表作品でありピカソの将来を決めたといわれる運命的な作品「人生」を描き終えたピカソは、版画においても青の時代の総決算をしようと考えました。
4月バルセロナからパリに出てきたピカソは、今ではつとに知られているラヴィニャン街の「洗濯船」のアトリエで、1点の版画を制作しました。
一人前の画家として知られてきつつはありましたが、まだ貧しく、高価なジンク版を買うことができなかったピカソは、刷り師ドラトールからほかの人が一回使って、まだ不十分な磨きのジンク版をもらい、「貧しき食事」と題されたエッチングをつくったのです。
この作品は、当初「盲人」を題されました。このモチーフは、ピカソのバルセロナ時代に描いた油絵やグワッシュに類似しています。しかし、バルセロナ時代のあまりにも感傷的な絵画がら抜き出た力強い主張がありました。
貧しさ、、病気、不幸は人間にとって避けられない宿命的なものかもしれないが、それに耐え、相たすけ、相いたわりながら生きている人々の美しさを描いたのでした。
この「貧しき食事」は正確なデッサンと技法で緻密に描かれており、ピカソ描写力の素晴らしさに見るものをして驚嘆させます。この作品の完成によってピカソは銅版画の技法を自家薬籠中のものとし、翌1905年には14点の銅版画を制作しました。
テーマは、スペインの貧しい人々やラヴィニャン街に住む大道芸人たち(サルタンバンクの人々)を取り上げています。モチーフは、沈鬱なものから次第に明るいものとなって、「青の時代」から「バラ色の時代」へと一進一退を繰り返しながら移っていきます。

近代絵画を育てた陰の立役者、画商のアンブロワーズ・ヴォラールは、1913年、この15点におよぶ版画の原版をピカソから買取り、「サルタンバンク・シリーズ」と題して売り出しました。(うち1点は版の状態が悪く破棄されました)。250部限定で、番号・サインは入っていないですが、このヴォラール版以前に刷られた作品も、今日ではサルタンバンク・シリーズとよばれており、ピカソの版画作品の中でも最も貴重なシリーズとなっています。

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