1886年 |
埼玉県岩槻市に生まれる。 |
1904年 |
埼玉県立浦和中学校(現・浦和高校)を卒業。
単身渡米、シアトルに住む。
職を転々として生活を支える。 |
1908年 |
この頃より独学で絵画の勉強を始める。 |
1912年 |
この頃よりオランダ人画家フォッコ・タダマの画塾で学び始める。 |
1914年 |
「ザ・タウン・クライヤー」紙に「芸術のあるべき姿」と題する自らの芸術論を寄稿する。 |
1915年 |
シアトル市公立図書館で初個展。 |
1917年 |
シアトル・ファイン・アーツ・ソサイアティで個展。
裸婦を描いた作品が風紀上好ましくないとの理由から撤去勧告を受け、田中は抗議の声明文を発表する。
同年11月、詩人で美術評論家のルイーズ・ゲブハルト・カンと結婚。 |
1920年 |
点の油彩(ほとんどが裸婦)を携え、渡仏。
パリのシャプタル通りに居を構え制作を開始、画塾も開く。 |
1921年 |
アンリ・リットルフ通りに転居。
マルセル・ベルネーム画廊で個展開催。
ドゥヴァンベス画廊で個展開催。
<銅の花器>がフランス政府買上となる。 |
1923年 |
ノートルダム・デ・シャンに転居。
同じアパルトマンには詩人のエズラ・パウンドが居住。
この頃すでにジェイムズ・ジョイスら英米文学者との交流が始まっている。 |
1924年 |
マルサン画廊で個展。
<渓流にて>がリュクサンブール美術館買上となる。
滞仏中の東久邇宮、朝香宮および同妃夫妻が、同展出品の中から八点を購入。
この年<裸婦>が松方コレクションに入る |
1927年 |
サロン・ドートンヌ会員となる。 |
1929年 |
サロン・デ・ナショナル会員となる。以後サロンを中心に作品を発表する。 |
1941年 |
パリにて逝去。享年54歳 |