1911年 |
3月15日、坂本謙吉、イカの第三子(三男)として、現在の小国町宮原に生まれる。 |
1924年 |
旧制大津中学校(現県立大津高校)に入学。 |
1929年 |
津中学校卒業と同時に上京。本郷絵画研究所に学ぶ。 |
1931年 |
帝国美術学校(現武蔵野美術大学)西洋画科に入学。 |
1932年 |
東京日日新聞社(現毎日新聞)に夜間勤めながら美術学校に通う。 |
1933年 |
三岸好太郎、岡田三郎助らを発起人として「坂本善三後援画会」が発足する。 |
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東京日日新聞社において第1回個展開催。 |
1935年 |
1月入隊。(以後1937年、1941年、1945年に召集) |
1936年 |
1月除隊。熊本市勧業館において熊本での初めての個展を開催。 |
1944年 |
1月三浦カツ子と結婚。独立美術協会会友推挙。 |
1945年 |
2月召集。熊本県菊池郡(野々島)の飛行場造営に派遣される。 |
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5月戦災により東京池袋のアトリエが全焼、それまでの作品を失う。 |
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8月熊本で終戦を迎える。 |
1946年 |
東京より引き揚げ、阿蘇郡阿蘇町坊中に転居。 |
1947年 |
第15回独立展で独立賞受賞。(「群衆」「牛市」) |
1948年 |
阿蘇美術協会創立、会長となる。阿蘇郡阿蘇町内牧に転居。 |
1949年 |
独立美術協会会員となる。 |
1951年 |
阿蘇郡白水村に転居。熊本の医師の美術グループ「杏美会」の指導を依頼される。 |
1952年 |
熊本市横手町に転居。 |
1953年 |
熊本市の大水害により戦後作品のほとんどを失う。 |
1955年 |
熊本県美術協会委員長に就任。(1955〜1956、1960〜1961) |
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県立美術館建設運動に携わるなど、県の美術文化の向上に多大な功績を残す。 |
1957年 |
11月ヨーロッパへ渡る。パリを拠点に、ヨーロッパ各地を訪ねる。 |
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石造りの建物の構築性に惹かれ、壁を画面いっぱいに描くようになり、作風が抽象へと変化していく。 |
1959年 |
4月帰国。 |
1960年 |
熊本市画図町に転居。 |
1965年 |
独立展で児島賞受賞。熊日社会賞受賞。 |
1966年 |
独立展でG賞受賞。 |
1968年 |
第9回日本国際美術展招待出品の「連帯」が文部省買い上げとなる。 |
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九州産業大学教授となる。 |
1971年 |
3月5日から15日まで四国の霊場88ヶ所を巡礼する。 |
1973年 |
熊本県美術家連盟会長に就任(以後5期10年務める)。 |
1975年 |
リトグラフィの制作を始める。 |
1976年 |
「坂本善三リトグラフィ集76」をミツムラグラフィックから出版。 |
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東京セントラル美術館で個展を開催。 |
1977年 |
第12回熊本文化懇話会賞を受賞。 |
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日動画廊の第1回長谷川仁記念賞を舟越保武とともに受賞。 |
1978年 |
熊本県教育委員会から熊本県近代文化功労者として表彰される。 |
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熊本市戸島町に転居。大正初年の民家を移築する。 |
1979年 |
佐賀県有田町中村清六制作の磁器に染付をする。 |
1980年 |
「坂本善三リトグラフィ集80」をミツムラグラフィックから出版。 |
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FIAC80展(パリ)に出品。 |
1981年 |
熊本市役所新庁舎に壁画3種を制作。 |
1982年 |
「坂本善三リトグラフィ集82」をミツムラグラフィックから出版。 |
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FIAC82展(パリ)に出品。 |
1983年 |
熊本県文化懇話会から第3回荒木精之賞受賞。 |
1985年 |
熊本県立美術館にて「坂本善三展」を開催。 |
1986年 |
FIEST展(パリ)でリトグラフィ「構成80」が専門家賞を受賞。 |
1987年 |
10月14日熊本市江南病院で死去(享年76歳)。 |
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遺族より油彩画の大作を中心に遺品など70数点が小国町に寄贈される。 |
1995年 |
小国町に坂本善三美術館が開館する。 |
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