福沢一郎の作品、略歴を紹介しております。
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福沢一郎(1898〜1994)
Ichiro FUKUZAWA
作家略歴紹介
明治31年1月18日、のちの町長、福沢仁太郎氏の長男として当時の群馬県・富岡町に生まれる。
富岡中(現・富岡高)を大正4年に卒業後、二高から東京大学へ。
通学の傍ら朝倉文夫に彫刻を学ぶ。
13年フランスに留学。
昭和6年帰国後は独立美術協会を舞台にシュールレアリスムの大作を発表しつづけ、わが国美術界に大きな衝撃を与える。
14年に同協会を脱会し美術文化協会を創設。
モニュメンタルな人間像を次々と描き出し、「敗戦群像」「虚脱」などの代表作を生み出した。
その後は団体に属さない特異な地位を占め、近年は神話や地獄、歴史をテーマに絵画に思想と主題を盛り込む希有な「福沢芸術」を展開、わが国洋画壇の第一人者として活躍した。
39年シュールレアリズムを主流とした美術文化協会創立。
41年共産主義者の容疑で拘留。
また画聖レオナルド・ダ・ビンチに関心を寄せ、「幽暗のレオナルド・ダ・ビンチ」「天才は失敗する」と題する500号の大作を発表した。
62年現代日本美術展で黒人霊歌が国立近代美術館賞。
多摩美大教授や女子美大教授などもつとめ、48年勲三等瑞宝章、53年文化功労者。
さらに、平成3年文化勲章受章。
平成4年3月には名誉県民に選ばれました。同年10月、94歳で死去。
一貫して主題(画題)を如何に表現するかということを追究し続けた、日本の絵画史に異彩を放つ作家です。また、昭和初期における所謂「シュルレアリスム絵画」の紹介者としても広く知られています。
大正末期から平成へと至る画業において、彼はさまざまに主題と作風を変えながら制作に取り組みました。彼の作品には、同時代の美術、社会、そして人間のすがたが見え隠れします。それは、彼が生涯抱き続けたドライな批判精神により生み出されたものです。また、彼の量感あふれる人体表現や独特な色彩感覚は、日本の洋画史において他に類を見ない特長といえます。